青空文語

Twitterに書ききれないことを書き溜めるためのブログです

有馬記念がやってくる

 ブログの最初に何を書こうかと考えましたが、競馬の話にしました。


 もうすぐ有馬記念ですね。予想をブログに書くだけではあまりに月並みなので、少し自分の話をします。

 2005年の暮れの有馬記念ハーツクライが勝ったレースですが、私が競馬に興味を持ったきっかけがこのレースでした。なので今年の有馬記念で競馬ファン歴十年とも言えるかもしれません。当時はなんだか強い馬が負けたんだなぁくらいに考えていた気がします。翌日の朝刊に大きく載っていたのが印象に残っています。

 それからはレースを予想してみたり、競馬場に行ってみたり、馬券が買えるようになってからはたまに馬券を買ってみたりしました。私はあまり馬券の研究には熱心ではないと思います。予想は真剣にしますが、賭けても観戦料と思えるくらいしか賭けません。さすがに競馬観戦を始めた当時のような気持ちの高まりはもうないですが、それでもファンを続けているということはやはり競馬が好きなのかなと。どこが好きなのかと問われれば、即答するのは難しいのですが思うところはあります。

 まずファンが面白い。競馬場やウインズに行ってオッサン同士の会話を立ち聞きしていると、それだけで一日つぶせそうです。たまに一人で行って話しかけられたりするのですが、面白い話が聞けたりします。それぞれが独自の予想のこだわりを持っていたり、好きな馬も様々です。Twitterとかを見ていても、まぁ大体みんな違う予想をしていますし、応援する馬も違っています。それでも関係性や世代を越えて盛り上がれるのは、結局のところ皆が似たような気持ちで競馬を観ているからではないかと思ったりするのです。

 われわれが競馬に熱中するのは、生命が不断に連続していて、それがけっして「死」によって中断させられるようなものではないということを確信したいからではないか。それは闘牛にしても闘鶏にしても同じこと。動物が死ぬのをみて楽しむのは残酷だという声もあろう。だが、死が単なる死ではない瞬間がある。生きるものは必ずいつか死ぬ。だが、死ぬことによって永遠に繋がっていくものがある。                         植島啓司『賭ける魂 p.24』より

 競輪や競艇とは、馬という生き物がレースをするという点で競馬は異なります。競馬の持つ生命の連続性といった特徴がこうした一義的な視点を私たちに与えていてるのではないでしょうか。十年前に現役だった馬の産駒がデビューして引退していくのを見て、ようやくこの生命の連続性というものが見えた気がしました。
 
 
 さて、前置きが長くなりましたが、有馬記念の予想を大公開します。
 
 ◎キタサンブラック
 ○ラブリーデイ
 ▲アルバート
 △ゴールドアクター
 ☆ラストインパクト
 
 根拠をきちんと挙げられれば良いのですが。キタサンブラックを本命にしたのは中山向きだという判断からです。ラブリーデイは秋戦線の疲労と距離の不安でやや割引きましたが、実力はあると思います。中山2500mという条件はとても特殊だと思うのですよねぇ。だからでしょうかここ十年もまともに的中した記憶がありません。素直に好きな馬を買った方がいいんじゃないかという考えが頭をよぎります。がんばれゴールドシップ

 今年もあとわずかですが、おそらくこの予想も外れて懐が少し寒くなるのでしょう。そこそこ競馬を観ていても予想の精度はさっぱり上がりません。今年もJRAに観戦料を支払ってから、年末を迎えようと思います。